Since えひめネットワークセミナー1995
えひめインターネットアーカイブ

我々はインターネットの創世記に巡り合わせて30年
働き盛りの年を経て今や後期高齢者。
生きてきた証を今残さなければ失われてしまいます。
皆様の汗と涙の物語を記録したいと計画しました。

えひめネットワークセミナー グループ

1995年開催の愛媛ネットワークセミナー

(インターネットセミナー開催資料)

私とit?  マイコン~パソコンへ 二神重則

何時の頃だったか1980年代・・・世の中は真空管からトランジスターに、音が良いと言うので管球式アンプ(ラックスマン)メインアンプの組み立てキットに取り組んでいました、回路図にはA級B級二種類の図があり選択でした。お仕事では日立の心電計の販売がありました。心電計の回路図の差動アンプが目に留まりました。

回路がトランジスターの集積回路になるには時間がかかりませんでした。
二進化十進回路になるほどと思っている間にインテル8008が出てきました。HLレジスタ・アキュームレータ・バッファー・アドレスバス・・・興味深々で調べているとあれよあれよと間にNECがTK80のキットを出しました。南海放送の研修ではお兄さんとオイさん達が16進のプログラムと格闘しながら入力し、シグの応えに一喜一憂していました。マイコンの時代の到来でした。

世の中は統計が必要とされる時代になりました。
今では簡単なt検定やカイ二乗検定・相関回帰検定でしたが、手計算で優位検定をしました。統計の通信を受けながら教えてもらっていた所でソロバンを使っていたら珍しいと言われました。卓上の電気式計算機がン十万しました。手で回す機械式の計算機は全員の数が揃わず対数表を使っていました。各種分布の表と対数表が非須でした。
計算機はその後「答え一発カシオミニ」なる計算機が発売され手の届くところまで来ました。
検定する対象が広がりデーターは膨大になり、統計は多変量解析の時代になりました。
個人のレベルは越えてオープンデータ処理やら人工知能へとよく分からない世界へと発展しました。

マイコンからパソコンの時代へ
情報技術者試験という国家資格の試験がありました。プログラムはFOTRANを選びPARTやABC分析・ゲームの理論などを知ることが出来世界は広いと知りました。
仕事での統計はPC8001を購入し付属のBASICで必要なプログラムを作りました。新しいものを作る作業は実に面白かった。
外部記憶のメインはカセットテープでした。テープデッキとの相性が雑誌のテーマになりました。

パソコンが8ビットの時代キーボードに「カナ」キーがありました。今で言う半角カナを使う時代です。今は絶滅危惧種のカナ打ち入力の生き残りになっています。
16ビットになり当初は全角の漢字は漢字ROMでした、ROMに無い新しい漢字は24*24のドットで作成しました。難しい渡邊さんなどは考慮されませんでした。

8ビットから16そして64へと
アドレスバスやデーターバスが広がるにつれ使えるメモリーが増えました。そしてCPUの速度も上がりパソコンは一昔前のオフコンを超える性能になりました。メモリーが増えデバイスが複雑になり、config.sysやautu.batの書き換えで上手くいったりいかなかったり。マニアの世界でした。
パソコン本体・モニター・プリンター・フロッピーディスク一揃お代は小型乗用車一台分、チーン!。家内には色々言い訳を考えて、苦労を掛けました。

CP/MとMS・DOS、ネットスケープとエクスプローラ・ロータスとマルチプラン・ワードと一太郎、様ざまなライバルソフトの栄枯盛衰を見てきました。DOS/Vからでしょうか強いところに集積する力の論理を感じる世界になりました。

インターネットの時代
通信速度
1980年当時は通信速度は300ビット/秒(bits per second)表示される文字が読めるスピードでした。96年頃最初ホームページを作成したら、掲載した写真が大きいとクレームが電話で有りました。処理の遅いパソコンや通信速度が遅いものは、ゆっくりと写真が表示されました。

20M(メガ)のハードディスクがン十万しました。
レコード盤くらいある一枚1M近くの記憶容量のフロッピーデスクに何を入れるん?と言っていました。地元の電気屋さんでは高いので仲間の注文を集めて大阪日本橋の怪しいお店でパチモンを安く仕入れていました。日本橋にはソフトのプロテクトを外すソフトやコピーソフトのお店がありました。

MS-DOSの頃、ファイル名は8文字で拡張子は3文字でした。ホームページ(以下HP)の表示のプログラムの拡張子は.htm 階層・ディレクトリの説明を受けました。よく理解しないままHPの作成を行いすべてのファイルを同一のディレクトリに入れていました。説明者は図書館の棚を例にとっていました。今のフォルダーの事なんだ、いまにしてて思えば・・・・ 知らぬが仏で見にくく使いづらい組み方になっていました。何かの学会の報告書がhtmで書かれていて、写真と説明(テキスト)が階層的に表示されリンクされるのを見て世の中変わると実感しました。そしてその資料に使われていたタグを参考にしました、結局使ったタグは5種類もあったかどうか。本屋さんや図書館で分からない所を参考に何とかHPらしきものを作りました。

何とか作ったものをエキスポランドのサーバーに転送する、なんて「分からへん」、神頼みの「TOWNタウン」の知恵袋さんに御すがりしました。50歳のオイさんがHPを作ったのが珍しかったのか何度かテレビにでました。テレビの関係者や撮影者もパソコン通信やインターネットがよく分かっていない、そんな時代でした。

N88BASIC・Fortran
パソコンの巨人と呼ばれたNEC9801のN88BASICを使って、仕事の得意先管理・売り上げや計画などの事柄をプログラムし使用していました。変数に整数と実数があることやランダムアクセスの長さ制限など知らない事ばかりでした。配列(Dimension)とは便利なものがあるのだと驚きました。その後N88BASICもコンパイル出来るようになりスピードが上がりました。

統計の計算が必要になりFortranで幾つかの統計法を作りました。初めてのコンパイルの折、エラーが次々出るので止めようかと思いました。

その後何年かして世の中からFortranの名前を見なくなりましたある日、電車で学生さんがFortran77の本を読んでいました。「何でFortran?」と声を掛けました。「古い資産が残っているから」との返事でした。

時代は流れているのです。

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