障がい者のICTを使った在宅就業
きっかけ
NPO法人「ぶうしすてむ」は2000年のNPO法が施行した年に設立されました。盲学校の先生方が生徒たちの今後の事を思いICTの技術が必要になるだろうとの事から設立された団体だと聞いています。そしてその設立主旨や定款には障がい者の自立と就労を目指すと言う言葉がありました。当時ボランティアでその活動に参加していました。2001年自身が障がい者になり、参加していた障がい者の人と一緒に働く場の創造を目指しました。
働く場の創造
大量生産時代の前の小規模ながら雇用もあった工場制手工業のマニファクチャーから名前を借りて「マニファクチャBU」と名付け法人内で働く場を目指しました。受注した金額から一定の運営費(当初20%)を頂き残った利益を給料として配分するシステムです。設立当初は月3万円程度だったと記憶しています。(当時の障がい者福祉作業所の給金はお涙程度) 高付加価値の受注を得るためには、作業員の技術の習得・支援者の受注活動の必要性と法人の活動を広く知ってもらう。これらが必要と考えました。
課題 運営費の確保
先ずは事務所の家賃が課題でした。(年間会費収入20万円、格安なれど家賃24万円)
1)当時障がい者の支援策に「福祉作業所」と言うのがありました。 目標とする在宅で働きたい障がい者のくシステムを動かすために支援員や受注の為の人件費を賄う様、在宅者向けの作業所の設立を目指しました。(福祉作業所=養護学校卒業後の行く末を案じた主に父兄が手を組み設立した、障害を持つ人々の交流や社会参加・自立を目指すための場所、国や自治体から運営のための助成金が出ていました。)自治体に相談しましたが在宅者への支援は無いと実現しませんでした。
2)小泉内閣で特区制度が発足しました、みなし雇用(障害者事業所への発注量に合わせて障がい者雇用の人数に換算する制度)を安定した受注活動が出来る環境を目指し申請しました。申請は通りませんでしたが、お国からは二つの案「在宅就業支援団体」「重度障害者在宅就労促進特別事業」の提案がありましたが。第1案の「在宅就業支援団体」のプランでは事業運営が成り立つ見込みが立たず第2案の「重度障害者在宅就労促進特別事業」は県内の重度障がい者の希望者を集めましたが自治体の協力が得られませんでした。行政を携わる人には広く知識を持ち新しい事にチャレンジする人が居て欲しい。徳島県が羨ましいと思った。家賃など当面の費用はパソコン講習会の開催などの事業を実施することで賄いました。その後パソコン講習会は公的な委託事業の受注などあり安定した収入になりました。
課題 働く人たちへの技術習得と人材の募集
民間助成金により県下各地で講習会の開催。目的は講習会講師の育成と受講者の中から共に働く人の発掘・法人の認知度を上げる。自立支援法その後の総合福祉法の成立により、就労継続A型事業所になり継続した運営が可能となりました。
●県共同受注窓口 エイカ(えひめICTチャレンジド事業組合)の設立
共同受注窓口とは、受注内容を対応可能な障害者就労施設等にあっせん・仲介する等の業務を行う窓口。安定した受注確保のために県内で印刷とICTで作業をすると事業所10軒が手を組み共同受注窓口を作った。当時国内で障がい者共同受注窓口のない県が愛媛県と他2県だった。受注促進には力の弱いものが集まる必要があった、各地でのICT研修は法人の認知が上がり窓口「エイカ」の設立に役立った。
●全国ネットへ 全障テレネットの発足
ITを活用した障害者の就労・就職支援を行っている全国の8団体が、平成29年6月15日、「障がいのある方の全国テレワーク推進ネットワーク(全障テレネット)」の発足。インターネットを介し、全国の同じ目的を持つ8団体がネットワークを組みました。 毎年厚労省主催のワークフェアーが開催されます。そこでは障がい者の技術競技会と支援者のブース展示があります。テレワークを支援している団体がたまたま顔を合わせる機会があり設立になりました。
●その後、国や自治体から障がい者の働く場に対する様ざまな支援があるようになりました。
障害者優先調達法
発注促進税制
松山市テレワーク在宅就労発注奨励金
今にして思う事
1995年の阪神大震災の年がボランティア元年だと言われている、確かにテレビには埃の中を黙々と歩くボランティアの姿からそう思われるのだと思うが、ここに1994年に開催された「第25回全国ボランティア研究集会」愛媛の報告書があります。元年と言われる前にこの会は全国各地で開催されていてボランティア活動の萌芽は育ちつつあったと思います。その集会で「コンピューターが拓く福祉ネットワーキングを求めて」の分科会のパソコンを使った障がい者支援の分科会に参加しました。各種ITを使った支援機器の展示と共に神戸「プロップステーション」の竹中ナミさんの「障害者の就労支援活動について」の講演がありました。 事業の種はその頃に撒かれていたのかも。
県内各地で開催したパソコン講習会における人材募集と育成
地道な継続した活動が評価されました。受講希望者は多かったがその目的はコミュニケーションと遊びがメインで就労ではなかった様でした。受講者のニーズと法人の目指す目的が乖離していてた。自立を目的とした人受講者は貴重だった。県内障がい者のICTレベルは上がったか疑問なれど法人の知名度は上がった。視覚障がい者のニーズは多かったが対応できる支援者が見つからなかった。
2010年頃から働きたいと相談に来る人達の質が変わっていった。当初は自立の為の技術習得(エデュケーションの場)と共に働く場の設立を目指していた。私が求めていたのは自立を目指す人たちと一緒働きたいと考えていました。しかし時と共に現場は変わってゆき自力救済は古くなって、私が理想とした時代は終わったと思いました。経営と共に障害者支援に必要な優しさ、そしてICTの知識が豊富な川崎壽洋氏に理事長を任すことが出来た。潮時でした。
障がい者の在宅テレワークの場を作る目的のために、当初の会員の中の聴覚障がい者の集まる場を作ろうとした人達や、障がい者の憩いを求めて集まる場を作ろうとした人たちの夢をつぶしました。謝らなくてはなりません。
様々考えて出来る事は数多くこなしました、その中で上手くいったものは少なく10に一つも成功しませんでした。しかし選択の自由はありました、たまに成功すると一人右手の拳に力を入れた、この楽しさはやった人にしか分からない。幸せ者です。