同族会「二神系譜研究会」の発足とICT
「二神系譜研究会」の事を書く際に発足当時からの事務局長「二神英臣」さんを抜きには語れません。それは、英臣さんから息子がホームページを見たので会いたいと連絡を頂いた時から始まりました。その後、会員は増加し一時は200名になりました。また、英臣さんの尽力により直接のご先祖である宅波の二神史跡の五輪の塔などを整備したお堂が出来ました。
この会が始まる前から二神の人たちは二神島や東京など様ざまな所で集まっていて系譜研究会設立前の準備会の頃から二神の先祖の情報は集まりやすい環境がありました。集まりが画期的に変わったのはインターネットのHPの活用がありました。また、ここまで継続して熱をもって参加して頂いた前会長の浩三さん、関西の二神さんに次々と電話を掛けて参加を促した栄三さんなどの皆様。地道な島々の情報の蓄積でお世話になりました豊田さん。これらの方々のお陰この30年余りの活動が継続できました。
ICT(Information and Communication Technology(情報通信技術))
会発足の糸口になったホームページは会の活動をローコストで波及する効果は素晴らしかった。そのきっかけになったのは、世界規模のイベントで「インターネット1996ワールドエキスポジション」(以下インターネットエキスポ)・世界で初めてのインターネット万博でした。このエキスポ事業に参加しHPを作りました。HPでは当時保存運道に参加していました「湯築城を守る県民の会」の活動と「道後湯築城」ページで構成していました。二神は河野氏の有力家臣であったことを聞き「二神島」と「二神氏」についてのページを追加しました。これらのホームページ作成には「守る会」の皆さんから様ざまなご協力がありました。その後の活動の継続は役員や会員の熱意であったと思います。
準備会を経て二神系譜研究会の発足(道後湯築城跡を守る県民の会に残された資料より)
二神氏の研究と結集を全国に呼びかけて 二神重則(道後湯築城跡を守る県民の会運営委員)
ホームページ作成に当たり、景浦勉氏による「二神文書」「室町時代における二神氏の活躍」 、網野善彦氏による「伊予国二神島をめぐって」、竹野孝一郎氏による「大分県府内町林四郎氏所蔵二神文書及び二神系図について」、「愛媛県史」・「中島町史」・「北条市史」・「城辺町史」等を参考にしました。そのページに対する反響により、1998年数人の有志が集まり会結成の準備と調査を始めました。その結果1999年2月14日に河野氏とも関係の深い「北条市ふるさと館」にて、全国の二神さん54名を集めて「二神氏の系譜を研究するための準備会」の発足となりました。会の目的は、「科学的な立場を持って二神氏の系譜の流れの解明をする」を基本として、それぞれの二神さんの持たれている史資料を集中して研究し保存し、史跡の保存や出来れば資料館の建設、本の出版などを計画しています。この事により先祖の生き方を学び、これから21世紀の我々の方向を示す一助になるのではないかと考えています。会員の人達には、年数回それまでの発見や出来事やお知らせを記載したニュース発行と、二神氏に関係の深い地での研究会・懇親会を開きます。北条での発会式には、久留島氏・得居氏の研究家である法政大学の福川先生の「伊予の国と二神氏」の講演がありました。5月末には二神発祥の地「二神島」で、約70名の人に集まって頂きまして、神奈川大学日本常民文化研究所の関口博巨氏による講演と懇親会を開きました。その後研究会は愛媛県南宇和郡城辺町、二神氏のご先祖豊田氏の下関市豊田町、高知県の小才角などで開きました。会はその数年後、発展的に二神系譜研究会となりました。
50過ぎのオイさんがホームページを作ったのが珍しかったのかマスコミからの取材がありました。また、ホームページを見たとメールや郵便での反応があり、新しい出会いがありました。
・種の名を持つ人、二神の先祖は「通字(とおりじ)」として種を使っています。系図には藤原氏~豊田~二神と種が並んでいます。会の案内と募集の冊子を種の付いていた人に送りましたら全員からご返事を頂きました。
・全国から様々な資料の発見がありました。理事で河野氏の菩提寺「善応寺」には天正の時に活躍した通範の夫婦の絵図が見つかりました。高知県の小才角では江戸期の絵図も見つかりました。
・NTTの電話番号検索が初期の頃の名簿作成の役に立ちました。