Since えひめネットワークセミナー1995
えひめインターネットアーカイブ

我々はインターネットの創世記に巡り合わせて30年
働き盛りの年を経て今や後期高齢者。
生きてきた証を今残さなければ失われてしまいます。
皆様の汗と涙の物語を記録したいと計画しました。

えひめネットワークセミナー グループ

1995年開催の愛媛ネットワークセミナー

(インターネットセミナー開催資料)

二神重則の略歴

 
キョーリン製薬 営業 36年間
大工見習 4~6年間
NPO法人ぶうしすてむ 15年間
日本尊厳死協会 手伝い 3年間
愛媛県肢体不自由児者父母の会 手伝い 2年間
 

二神の書き残しておきたい事

1955年頃中学生で暗号を使って文通する遊びが流行りました。コードを書いたペンケースがカンニングだと騒ぎになりました。もちろんチューリングと言う人の事は知りませんでした。

1995年は50歳、30年程務めた製薬会社の数年後の退職を目指していた。その年は阪神大震災・オウム事件・Windows95発売などがありました。パソコンは1980年ころに発売された8ビットから16ビットへの移行時期で雑誌ではMSDOSとCP/Mの話題などで盛り上がってました。ネット関係ではパソコン通信があり全国版ではニフティーサーブやPC-VANと草の根BBSと言われる地域のホスト局があり、私は松山市のTownタウンに属していました。パソコン通信の様ざまな出来事はそれぞれの方に書き残してもらおうと思います。

私にとってのインターネット元年は、地域の草の根BBSで「TOWN」と同様の「マドンナ」の人たちによる、インターネットって何から始まり、みんなでセミナーをしようと民間主導の「愛媛ネットワークセミナー」を3月に、その3ケ月後に第2回を開催しました、多くの人の参加がありその関心の深さが分かるセミナーになり改めて時代の流れを感じました。

1996年の「インターネットは国境をこえる!」世界的な一大イベント「インターネット1996ワールドエキスポジション(インターネットエキスポ)」が始まり、「インターネットエキポ」はインターネット上で行う仮想的に万国博覧会として1996年の一年間にわたって開催された。その目的は情報基盤の整備と先進技術の実験を通じて次世代のインターネットを先取りして実現し、その環境を利用して新たな共同作業の可能性を探る・・・」と説明されていました。

インターネットエキスポはパソコン通信の仲間から全国で300人の募集があるから参加しないかととのお誘いがあり参加しました。参加すると一年間windows95搭載のパソコンと128kのルーターの貸し出しがありました。ルールとしてホームページとかで何かを発信しなければなりませんでした、丁度参加していた「道後湯月城を守る県民の会」のご協力を得て当時は保存活用運動をしている「道後湯築城」「湯築城を守る県民の会」のページを作成しました。 htmで(使用したタグは5種類ほど何かの本を見ながら)サーバーへの転送は人任せ、訳が分からないままの出発でした。

私の残しておきたいと思っているのは以下の三件です。
(一件目)「道後湯築城」とその保存運動の主体「道後湯築城を守る県民の会」のホームページを1996.09.14立ち上げました。これがきっかけになりパソコン通信全国ネットニフティーサーブで話題となりました。それまでの会の地道な活動により現在の史跡保存が出来ました。これらの経緯を関係者に残してもらおうと思います。
(二件目)道後湯築城は戦国末期の河野氏の居城で、その配下に二神の一族がいました。「湯築城」のホームページの中に二神のコーナーと簡単な歴史を作りました。それがきっかけで全国ネットの「二神系譜研究会」が設立されました。は設立前からこれまでの事を系譜研究会の詳しい方に書いてもらおうと思います。
(三件目)1999年に早期退職し震災ボランティアの時に決めた大工さんを目指し見習いに入りました。途中大病をして障害者になりましたが当時ボランティアでNPO法人「ぶうしすてむ」に於いてCADの講師をしていました関係でインターネットを使った在宅就業を、一緒に働いていた仲間と目指しました。当時の障害者の労働の現場の事やインターネットを使った在宅就業を目指していた人たちの記録を残したいと思っています。
(NPO法人「ぶうしすてむ」は障がい者の就労を目指す主旨で盲学校の先生方が設立された団体。)

同じ時期は後の世で失われた30年と呼ばれ。子供たちは就職氷河期と言われる時期になります。

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